東京慈恵会医科大学生化学講座 百年史
東京慈恵会医科大学生化学講座は大正2年(1913)9月11日、東京慈恵会医院医学専門学校(慈恵医専)の永山武美教員補が教授に就任し、学祖高木兼寛校長より初代講座担当を命ぜられたときにはじまる(同講座は平成7年までは医化学講座と呼称されていた)。したがって平成25年(2013)は同講座が誕生してから丁度100年になるわけである。
しかし文献によると、慈恵医専における生化学的な講義はすでにその5年前から高木校長の依頼で東京大学の須藤憲三講師によって行われていたというから、それから数えると平成25年は105年になるわけである。いずれにしろ当時はまだ生化学講座は東京大学と京都大学にしかなく、他の医学専門学校(9校)にはどこにもなかったから、学祖高木兼寛校長の基礎医学に対する期待がいかに大きかったかが分かる。もちろん独立した生化学講座といっても、当時はまだ生理学講座(生沼曹六教授担当)の一室を生化学実験室として使用していたに過ぎなかった。そして講義は蛋白質、脂質、糖質に関する部分、実習は糖質や蛋白質の定性、定量に関する臨床的なものを受け持っていた。
永山は教授就任後、東京帝国大学医化学教室に派遣され研鑽し、また大正8年から大正10年まで欧米の大学(スタンフォード大学、ジョンズホプキンス大学、カイゼルウィルヘルム大学)に留学し、帰国後の大正10年に本学が大学に昇格したのに伴い、大学教授に命ぜられた。大正12年9月1日の関東大震災で大学の建物は灰燼に帰したが、金杉英五郎学長の計らいで、医化学教室は慶応大学の医化学教室を借用して研究活動が継続された。大正13年には本学校舎の仮建築が終わり、大正14年に慶応で研究していた医化学教室の教室員が復帰した。昭和10年10月、第11回日本生化学会総会が永山を会長として慈恵医大で開催されたが、その会場は昭和8年に復興したばかりの新校舎であった。この総会で興味深いのは、後に永山の後任教授として就任する牧野堅が特別講演「核酸の構造とその分解酵素について」を発表していることである。不思議な因縁であった。この講演は牧野の有名な“核酸のテトラヌクレオチド構造”に関するものであった。永山はビタミンCを中心に研究を進めていたが、昭和15年に薬理学教室を兼務することになり、その頃から戦争の影響で疎開するなど、困難な状況の中で研究を続けざるを得なかった。昭和22年12月に永山は第3代学長に選出された。敗戦後の最も困難な時期の学長であった。永山の学長としての最大の功績は、第三病院の広大な土地、物件の買収に成功したことである(昭和25年)。これによって慈恵医大はようやく戦後の危機を脱し、発展の道を歩み始めたのである。
3年余空席になっていた第二代生化学教授席に、昭和29年、当時熊本医科大学(現熊本大学医学部)の教授であった牧野堅が招聘された(この教授不在の3年間の教育、研究の実質的指導者は久志本常孝講師であった)。牧野は熊本医科大学教授に就任するまでの17年間、大連病院の内科臨床に従事しながら生化学の研究を続け、核酸、ATP、ビタミンB1の構造決定など世界に誇る研究を行い、日本の生化学会を先導し注目されていた。慈恵医大における研究も広範であるが、トリプトファン代謝、ビタミンB6の研究など、卓越した業績をあげている。永山によって生化学講座が創設されたのが大正2年(1913)であったので、昭和37年(1962)に、国際文化会館で講座開講五十年記念式典が行われた。そして冊子「慈大医化学開講五十周年記念抄史」が出版発行された。同式典では牧野から、この五十周年を記念して若い研究者の励みになるような「永山賞」を設けたい旨の提案があり、直ちに賛同された。そして翌38年、第一回の永山賞は松田誠助教授(当時)に授与された。その後すぐれた業績をあげた研究者が次々と受賞している。
昭和48年、松田誠が第三代主任教授に就任し、GABAやビタミンB6の研究で成果をあげた。昭和57年3月、生化学講座が位置する大学本館前棟東側に病院E棟が新築されることになったため、同講座は栄養学講座などと一緒にF棟(現在位置)に移転した。昭和58年には、松田はビタミンB6欠乏けいれんの研究で日本ビタミン学会賞を受賞された。しかし翌昭和59年、松田は喉頭癌を患い講義が困難になったため、その後は高木兼寛先生の業績を調べ執筆することに精力を尽くした。その成果は現在までに「高木兼寛伝」「高木兼寛の医学 I~V」「高木兼寛の医学-東京慈恵会医科大学の源流-」など多くの著書になっている。松田の仕事によって、学祖と本学の歴史が再認識されることとなり、その貢献は計り知れない。
平成6年に大川清が第四代主任教授に就任した。大川は癌の発生、治療の生化学的研究に強い関心をもっており、教授に就任してからは、いろいろな蛋白担体にいくつかの抗癌剤を結合させ、それらによる抗癌作用を分子レベルで追及し、抗がん剤多剤耐性の克服に資するという研究に従事した。また翻訳後修飾、特にユビキチン化、非酵素的糖化(グリケーション)を中心に変性蛋白蓄積と疾患・病態特異性、進展への関与解析にも積極的に取り組んだ。さらに旧第一内科(現消化器・肝臓内科)で精力的に進められていた人工肝の研究プロジェクトに参画し、生体類似組織構築性を促すラジアルフロー型培養装置により、細胞の3次元立体培養による組織構築指向性の性格誘導研究へと昇華した。
平成24年4月より吉田清嗣が第五代主任教授に就任した。吉田は米国ダナ・ファーバー癌研究所や東京医科歯科大学難治疾患研究所において、癌とはどのような病気かを明らかにし、癌細胞を特異的に傷害する方法を確立することを目的として研究を行ってきた。この目的を遂行するためには、癌細胞が有する異常を分子レベルで明らかにし、その異常を標的とした治療法を開発することが有効であると考えている。当講座では、研究成果が癌に苦しんでおられる方に福音をもたらすことが出来る様に、創薬をはじめとする臨床応用に向けての努力をしていきたい。そのためには臨床医学講座と連携して、幅広く臨床研究に携わって行く必要がある。そして近い将来、大学における癌研究拠点としての役割を果たして行きたいと望んでいる。